研究の目的と意義
長崎には、江戸時代以降多くの中国人が貿易等のために訪れた。帰国船の風向きを待つ間の彼らが「唐人屋敷」(1689~)に隔離されるまでは、長崎6万人の人口の内「唐人」が1万人を占めていたともいわれ、祭事、料理や食事の作法(卓袱料理)に今日まで影響を与えているほか、中国僧黙子如定の勧進と指南で建造されたという眼鏡橋も健在である。しかし、江戸時代の「唐人」が手厚くもてなされたのに対し、近代以降の華僑は長崎において難しい立場に立たされた。陳東華氏の教示によれば、陳氏の曽祖父、祖父、父が経営してきた貿易会社「泰益号」は、母国と長崎市の双方に随時配慮しながら、戦争の絶えない近代を乗り切ってきたようだ。しかし、中華人民共和国との「国交回復」(1972年)の影響もあり、近代華僑についての公式な記録を探すのは容易でないのが現状である。とくに、華僑が原爆にどのような影響を受けたかについての記録は、佐多稲子の小説「樹影」(1972)を除き皆無に等しい。しかも、1940年代までの長崎を知る華僑・華人は、今日、決して多くはない。
このような状況から、長崎華僑の体験を書き留め、その歴史をできるだけ立体的なものとして示すことは急務であるとプロジェクトメンバーは考えた。日清戦争以降あらわになった中国人差別や、国民党事件(1937)に代表されるような体制側からの弾圧を受け、しかも原爆投下によって混乱を極めた長崎を生きのびた華僑の歴史は、移民史としても極めて貴重なものであるはずである。
長崎華僑の近現代とは、「落葉帰根」(滞在先で実りを得たのち老後は故国に戻る)を理想の生き方としてきた彼らが、「落地生根」(異国に根をおろして子々孫々の繫栄をみる)へと転換していった時代であるとも言える。これが、15年にわたる戦争によって故地との行き来を絶たれた結果であることはたしかだが、見方を変えれば、華僑が長崎市民として深く根を下ろしていく過程であったということもできるだろう。ゆえに、華僑史を紡ぐことは、彼らと不可分な関係を築いてきた長崎市民社会の歴史をあぶり出すことでもあり、ひいては日本社会のありようを明らかにすることにもつながるはずである。長崎を舞台にした文学・美術作品も調査の対象とし、その中で華僑がどのように表象されてきたかも分析し、華僑史の立体的記述の役に立てたい。
このたびのプロジェクト(本研究)には、予備研究メンバーであった篠崎美生子(日本近現代文学/所員)・朱海燕(中国史/明治学院大学非常勤講師)のほか、長谷部美佳(社会学/所員)、楊志輝(国際政治学/恵泉女学園大学教授)が加わることになった。長谷部には移民研究の観点から、楊には戦後政治史の観点から、また福建省出身者の立場からの新たな調査、考察の方法の提示がなされるはずで、今後2026年度から3年間で研究を深化させ、一定の成果を得るつもりである。
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年度報告

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